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天使か悪魔か

リアルババアあしゅのいらん事言いブログです。 昔の記事は http://maho.lomo.jp/nashural/ に。

熊本地震 2

あー、長い一週間だったーーー。

毎日、震災関係の報道番組を観て
地震速報にヒヤヒヤして
一喜一憂じゃなくて、一憂一憂だったよ。


阿蘇の方にまで揺れが広がって
そっちに住む友人にメールをしたけど
返事が来ない・・・。
すっごく心配!

返事を忘れてるんだったら良いけど
何かがあったら・・・。
いや、停電かも知れないな。

無事確認メールとか、被災者にとっては
何の役にも立たなくて
うっとうしいだけかも知れない。
だからこれ以上メールできない。
無事であってくれーーー!
と、悶々としてたら、ようやく連絡があった。
大丈夫だって、良かったーーー。


知人は、盛り土に建てた家の土台が崩れて
危なくて家に入れず
親戚宅に避難をしているそうな。

でも、家自体の形状は保っているので
補助金がでないらしい。
もう住めないのに、と嘆いていた。

家も、半壊と全壊じゃ
補助金が全然違うんだって。
中途半端に崩れるぐらいなら
ペチャンコになってくれ、って気分だと。

ようやくボランティアが入ってこれるようになって
これから復旧が始まるけど
こういう問題に直面するんだな。
寄付金がこういうところにも使われれば良いんだけど。


揺れもなかなかおさまらないし
仮設住宅とかどこに建てるんだろう、とか
ライフラインの復旧は、とか
心配事は後を絶たない。

兄も元気でやってるようだけど
心身ともに疲れてくる頃だろう。


私はといえば、お風呂に入ってても
熊本の人は入れないのに、とか思ったりする。
ご飯を食べてても、布団で寝てても
掃除をしてても、そう思う。

いかん、ネガティブになってる。
でも考えずにはいられない。
復興し終えた時まで、ワープしたいよ。
先が見えなくて、気が遠くなる。
遠くに住んでるくせに・・・。

震災は何度か起きたけど
ここまで思い詰めたのは初めてだよ。
やっぱり身内や知人が被災すると違うんだな。
思い出の場所も崩れたし、ショックが大きい。


グチグチ、ごめん。
皆から、まず自分が元気でいる事、と
助言をもらったんで、グチはやめて
来週のブログ記事からは通常運転に戻るよ。
誰も得しない心配の仕方だしな。




こうも簡易トイレに固執してるのは
年寄りになると、トイレが近くなるんで
災害の時に困るよな、という気持ちから。
ノロが発生している避難所もあるし
備蓄しておくべきだと思うけど
家が壊れたら使いどころがないから
難しいところだな。
とりあえず私は数日分買っておくよ。











熊本地震

まいった・・・。
うちの実家、震源地なんだよ、益城町。

最初、地震発生に気付かなくってさ
友人からの、実家大丈夫?メールで
TVをつけて慌てた、っちゅう。

んで、実家の家電にかけて繋がらず
また慌てた、っちゅう。

停電したそうだから、家電は使えなかったんだな。
その後、携帯にかけてようやく繋がって
兄自身の安否は確認できたけど。


兄、無事だった。
ミサイルが落ちたかと思ったよ、と言ってた。
ドーンという衝撃が凄かったそうな。

家の中はグチャグチャだって。
食器が割れまくってて
片付けが大変・・・、とボヤいてた。


地震ってさ、揺れが治まったら終わりじゃないんだね。
復旧が終わるまで続くんだ。
身近で起こって、初めて実感したよ。

今は私にできる事はないけれど
家の損傷とかが気になるなあ。

電話回線をあけなきゃいけないから
そうそう頻繁に携帯に電話するわけにはいかないし
そういうのをうっとうしがる兄だし
私には頼ってこないだろうけど
心配で心配で、胸に石が詰まったように重い。

私がこんなに心配してるなんて
兄は夢にも思わないだろうな。
何せ、ここ5年ぐらい、連絡取ってなかったし。
・・・用事がなかったんだよね・・・。


様子を見に帰省したいけど
飛行機は止まってるし
足手まといになるだけだし
それも嫌がる兄だから、できない。

今はTVの情報を確認しては
気を重くしてるばかり。

兄、“自然” が好きだから
家を壊れっぱなしにしないだろうな。

あああ、むっちゃ心配ーーー!


と、悶々としながら、金土日と
TVで被災情報を見てて
本震とやらも起こっちゃって
もう耐えられなくなって、再び兄に電話した。

兄は近所の人たちと協力し合って
水汲みに行ったり、炊きだしをしたりしてるんだと。
素晴らしいコミュニケーション能力!

元気そうでホッとしたんだけど
問題は別のところで発生してた。

家、無事だった。
中は食器とか全割れしてるけど
建物は何ともなかったって。
それは目出度い。
心底、安心したよ。

ただし、周囲がぐちゃぐちゃ。

皆から、「お宅は良いわね。」 と言われまくり
針のむしろだそうだ・・・。
何てこったい。

うちの実家は、母方の親戚が建ててくれて
「おじさん、余程、頑丈に作ってくれたんだなあ。」
と、兄がつぶやいた。

贅沢な悩みだよね。
それはわかっているけど
うちだけ無傷で、いたたまれないんだそうな。


うちは震源地で、すぐ自衛隊が来てくれて
救援物資も揃った。
だけど注目されない被災地では、救援どころか
体育館などの場所は提供するけど
自分で布団を持ってきて、とか
家が半壊したのに、民生委員が来て
「大変だねえ」 のひとことで帰って行ったとか
悲惨な話も耳にする。
空き巣や強姦も起こっているらしい。

今、熊本では誰ひとりラクじゃない。
それが震災なんだから、しょうがないんだけど
余震だけでも、一刻も早くおさまってほしい。


日赤に寄付してきたよ。
日赤なら100%被災地にいく、って聞いたから。
ユニセフとかは、手数料みたいなんが抜かれるんだって。
それも、いたしかたかない事かも知れないけど
丸ごと寄付の日赤があるんだから、そっちにする。

熊本には親戚もいるから、個別に物資を送りたいけど
宅配が届かないんだって。
ほんと今は祈るしかできない。

これ以上、被害が大きくならないよう
復旧が早く進むよう、神さまお願いします。


熊本城が壊れたの、大ショックだった。
熊本の誇りなのに・・・。




ライフラインが止まって、一番困るのがトイレだそうだ。
宅配が止まってるから送れないし
こういうのは普段から備蓄しとくべきだね。
とりあえず、3日分ぐらいは必要かな。




マクドナルド

数年ぶりにマックのハンバーガーを食べた。
大きさが以前の半分ぐらいになってて
私でも1個食べきれた。

でもレタスがボロボロにしおれてて
マックも変わったなあ、と思った。


いや、マック、本当に変わったよ。
店舗なんか、薄汚れていて清潔感がないの。

昔、藤田でんさんが社長だった頃
でんさんの諸国漫遊があってな
日本中のマックをでんさんが電撃訪問すんの。

そんで、店舗のいたらんとことか
行き届いていない点があったら怒るの。
で、店長、罰せられるの。

元夫は建築業で、店舗修理もやってて
マックも請け負ってたんだよ。

ある日いきなり、でんが隣県に出没したぞー
って一報が入ると、県中のマックが恐怖に震えるんだ。
そんで元夫にジャンジャン電話が掛かってくる。

元夫は、でんさんの位置情報を聞きつつ
先回りをして各店舗を修理していくわけ。
もう、ものすごい攻防戦よ。
その間、着替えにも戻れない過密スケジュール。

終わった頃には、マックの店長たちと元夫は
グッタリ・・・、って感じだった。


このでんさん、かなり個性的な人で
マックの標語は、“勝てば官軍”。

子供の頃に味を覚えさせておけば
大人になってからも食べる
という事で、マックは子供重視の
商売戦略を立てていたそうな。

とにかく店舗のきれいさを維持するのに
心血を注いだ人だった。


そんな、でんさんが亡くなってから
マックは新体制になったらしく
ほんと変わってしまった。
悪い方にだと思う。

24時間営業にすると、掃除の時間がなくなるんだって。
だからかな。

でも店舗の薄汚さより何より
あのしおれたレタスを思い出すと
マックも終わりなんじゃないかと
心配してしまうなあ。





 
お湯だけで洗うシャンプー方法があるぐらい
髪に刺激を与えたらダメ。
このシャンプーは脂を取り過ぎず
なおかつさっぱりと洗い上げるから
乾燥する今の時期にお勧め。












成人の儀式

2003年の記事


南太平洋の島々やアフリカでは
成人になるとその証として
イレズミやらバンジーやらの苦行の儀式が行われる。

そういうのをTVで観る度に
日本人で良かったと感謝していたもんだが
何とこの日本にも “成人の儀式” というモノが
存在していたのである!


それは私が20歳になる1年前から始まる。
母は外出には必ず和服を着るので
出入りの呉服屋さんがいた。

まずその呉服屋さんが私の採寸をした。
ついで、普段から評判が悪い私の髪型に
周囲がより一層ケチをつけ始める。
どうやら私は成人式では着物を着なきゃいけないらしい。

そういう行事は嫌いだったので無視をしていたのだが
母が呉服屋さんの招待で、叔母とふたりで京都へ繰り出し
都おどりなどの接待を受けまくり、反物を買ったという。

その反物のシャレにならん値段を聞いた私は
こりゃあ死んでも成人式には出にゃならん
と腹をくくった。

大体、4~5cmの長さのパンクヘアじゃ
あと数ヶ月で結えるほど伸びるわけがない。
結局、当日は付け毛付け毛で
巨大な頭になってしまった。


女の子の成人式の朝は早い。
日の出もまだの朝4時に叩き起こされ
朝飯も食えんまま、寝ぼけまなこで
デカい着物道具一式が入った箱をかついで
美容院へと友人達と急ぐ。
頭をギュウギュウ作られた後、各自メイクをする。

その時に着物の箱を開けて初めて、着物を見た。
淡いピンク時にパステルのきれいな総絞りであった。

当時の私は黒やグレーといった色の
メンズっぽいハードな服を好んで着ていたので
「これを着るんかあー?」 と
気恥ずかしさに、思わずうなだれた。
ちなみに友人のひとりは、黒地の着物にして
皆から 「姐さん」 と呼ばれ怒っていた。


で、着付けに入るんだが、私はその時
人生最大に太ってたにもかかわらず
バスタオルを4枚グルグル巻きにされた。
着物は貧弱な体だと映えないらしいのだ。

タオルとは言え、4枚も巻きつけられたら
モビルスーツみたいなもんで
まるで背中に棒をくくり付けられてるような姿勢で
かがむこともできない。

おまけに、着崩れするといけない
と、帯も3人掛かりで締め上げる。
この締め付けが苦しいのなんの。
内臓が口からところてん状に出るかと思ったわ。
死んだじいさんが河の向こうで
手招きしているのが見えたほどだ。


成人式は9時からだ。
近年の成人式では、はしゃぎまくって
大暴れするヤツらが横行しているが
私たちはそういう元気どころか、息をするのもやっと
という状態でお通夜のように
ただひたすら座っていた。
しかも帯が潰れるので前かがみにである。

退屈な話の上に早起きで眠くなるが
このまま目を閉じたら永眠しそうな勢いの苦しさである。
あくびをしたくても、息が思いっきり吸えないので
途中でかき消え、できないのだ。


式典が終わった後は集合写真の撮影だ。
その合間に誰かがコーラを買ってきたので
仲間内全員でまわし飲む。

が、気道どころか食道まで潰されているのか
飲み込めないのである。
私だけかと思ったら、友人全員がコーラを
ほおばったまま集団フリーズしている。
結局、皆でコーラを吐き捨ててしまった。


私の機嫌はドンドン悪くなり
撮影の時に目の前に馬鹿でかい男が立ち
周囲の女の子が困り果ててるのをいいことに
「そこのあんた、デカイんだから後へ行け」
と、八つ当たりをしてあげた。

振り向いたそいつは、眉のないチンピラもどきのヤツで、周囲は一瞬、縮み上がったが
「ここでいいっすかあ?」 と、私の横に立った。

友人が 「あんた、いつかケガするよ」 と、囁いたが
親友が 「機嫌が悪いと、いっつもこれだもん」 と
フォロー?を入れてくれた。


集合写真の後もまだやるべきことが残っている。
個人の記念写真を撮りに写真屋さんに行くのである。

もう、そこでは何をどうしたのか覚えていない。
帰りは同級生の男の子を足に使い
茶もしばかず、即行車で帰宅した。


玄関に入るなり、「脱ぐぞーーーーーー」 と叫んで
歩きながら帯をほどこうとしたら
母が慌てて飛んで来て
「写真を撮るからちょっと待ってーーー」
と、懇願する。

しょうがないので庭に出たら、父もやってきて
私の顔を見るなりひとこと
「キ○ガイみたいに」
と、放送禁止用語とともに笑った。

多分、宇宙並みに広い心で考えると、照れたんだろうが
自分でも心の片隅に、自分の姿に対する疑問の渦が
唸りをあげていたので
そんな父親の不器用な愛情は私を益々激怒させた。


何枚か写真を撮っていたら
当時家にいた紀州犬が寄ってきて
母が 「着物が汚れるから追い払って」
と、怒鳴るのを無視して
犬をむんずと捕まえて、抱きついて一枚写してもらった。

母は 「ひいいいいいいいいいいーー」
と、叫んで卒倒しそうになっていた。
まあ、ささやかな抵抗ってやつだ。


すべて終わって、着物をやっと脱げる時がやってきた。
もう一気に脱ぎたかった。
が、帯がほどけないのである。

あの時代劇でよく見る 「ああれええええ」 な
帯回しは何なんだよ! と、七転八倒した。
どうやっても結び目がほどけず
わっかのまんま、はずさざるをえない。

あまりにドッタンバッタン物音がするので
母が不審に思い、覗くと
着物やら帯やらの海でのたうちまわる私がいて
母は 「きゃあああああああ」 と
今日二度目の雄たけびをあげた。



プリンセス・テンコーも顔負けな縄抜けをした私は
そのまま布団に倒れこんだ。
しかしクタクタに疲れ果てているのに眠れないのである。

通常は苦しい服を脱いだら、ホッとするのだが
あまりに締め付けていたせいか
帯をとってもまだ着けている感覚なのだ。

客間では誰が来ているのか、宴会が始まっていたが
主賓であるはずの私を誰も呼びにはこない。
私は食欲もなく、そのまま翌日まで寝ていた。


翌日、東京への飛行機の中で、友人が怒っていた。
友人は夜中まで着物を着たまま
客の接待をさせられたのだそうだ。

「何で主役がセクハラジジイ相手に
 酌婦をせにゃならんのかと思ったよ!」
友人は友人で、プリンセス・テンコー並みの
ショーサービスを繰り広げてたようだ。


地獄の成人の儀式が終わったかと思っていたら
本当の地獄はここからだった。
それ以来、飯が食えず
下痢と嘔吐を繰り返したのである。

そういう調子なので、一歩も外に出られず
半病人のようになってしまった。
当時の彼氏が 「その着付け屋を訴えろ」
と激怒したほどである。

1ヶ月、そういう状態が続き
いきなり10kg痩せてしまった。
学校の友人が電話をしてきて、顔を出せとしつこく言う。

フラフラと登校した私の、あまりにやつれ果てた姿を見て
「ごめん、家で寝てなよ」 と
皆、何かを納得してくれたので
「おう、またな」 と、授業も受けずに帰宅した。


私が着物の後遺症で苦しんでる時に
ドでかい封筒が送られてきた。
中を見ると、写真屋さんで撮った私の写真であった。
よく覚えてないのだが、最高潮に機嫌が悪かったらしく
鬼のような顔で写っている。

当時の彼氏は優しくて大人なヤツだったが
さすがにお世辞も出てこないらしく
「これはヒドイな」 と、気の毒そうにつぶやいた。

何から何まで腹が立つ仕上がりに、放心してる私に
母が 「写真届いた?」 と、電話を掛けてきた。

「それ親戚中に送ったのよ。
 皆、いい着物ね って褒めてくれてるわよー」
あくまで母には悪気はないが、それがかえって癇に障る。

写ってる人物のどこもどうにも褒められないから
仕方なく着物を褒めるんだろうがあーーーーー!!

こんな化け物のような姿の写真をバラまかれて
私の今後の人生は、同情票で終わることだろう。

最後まで追い討ちをかけてくれる愛情あふれる母心に
親の言う事をきくとロクな事にならん
と思い知った私であった。


着物の名誉のために言うが
私の事例は異常な事だそうだ。

兄の友人に着物を愛用している女性がいるが
「昔の人は着物で掃除してたのよ
 そんなに苦しかったら動けないでしょ。
 きっと、着付けをした人が未熟だったのよ」
と、説明してくれた。

何と説得されようが、私は着物が苦手になった。
いくら訴えても母は 「いつか必要になるのよ」 と
次々と私の着物を作るのをやめない。

私だって、着物は格好いいと思うのだが
どうしても着る気になれず
積み上げられた着物の箱を前に
「どうするんだよ、これ」 と、途方に暮れるのだ。

着物は今、実家の押入れをひとつ占領したまま
永遠の眠りについている。
欲しい人、売るぜ。 はっはっは






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