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天使か悪魔か

リアルババアあしゅのいらん事言いブログです。 昔の記事は http://maho.lomo.jp/nashural/ に。

最後のしつけ

2005年の記事。


1月にかあちゃんから小包が届かなかった。
毎月毎月、わけのわからんものを詰め込んで
送ってくるのに。

何か嫌な予感がしつつも
2月始めがかあちゃんの誕生日なので
恐る恐る電話をした。
本当ならバッくれたかったのだが。

案の定、電話には兄が出た。
かあちゃんは入院してて手術するので
とりあえず一度見舞いに帰って来いと言う。
「それって命ヤバいの?」 と聞くと
「そんな事はないだろうが、なにぶん高齢だからな。」

電話を切ってから、とりあえず飯を食おうとした。
だが、涙が出てきて止まらなくなり、飯どころじゃない。


私の人生観では、親が死ぬのは最後のしつけ。
子は親に生を教える代わりに、親は子に死を教える。

だから親が死ぬのは当然と受け止められるのだが
その時の私は、他にも辛い事が重なり
かなり弱々であった。
もう、「こりゃあかん」 状態である。
何故、辛い出来事ってこう同時に起こるのか・・・。

飯も食えなくなり、私の気分は冷たい風が吹く荒野に
ひとりで立ちすくんでいるようであった。
人はこういう感覚に陥ると、うつ病とかになる。


何でわざわざ谷底に落ちて這い上がってくるような
真似をせにゃならんのか、自分でもわからんが
私はマイナス思考である。
まず最初に最悪の状況を想定するクセがある。

今回も、かあちゃんは死ぬと決め付けた。
そしてしばらくクヨクヨ寝込んだ後に
「それが自然の流れ!」 と、起き上がる。

そこで心身ともに元気になるかというと
それが脳みそは元気でも、心がついてこないのだ。
そうこうしているうちに体に異常が出てくる。
心が鈍感だから、多分こういう事になるんだろうな。
人体もややこしいよ、ったく・・・。


前置きが長くなったが、これらの葛藤を乗り越えて
帰郷しようと決心した。
帰る直前の電話での兄の話によると
手術はしない事になった。
年寄りだもんで、体力が無理っぽいらしいが
それで命に別状はないらしい。
この事で安心したのもあり
私はきわめて普通の状態で帰郷した。

兄に会って状況を聞くと、1月始めに具合が悪くなって
割に近場の老人に強い病院に入院したのだが
腎臓に腫瘍ができてるのが判明し
手術設備の完備した病院に転院したとのこと。
だが、年寄りだからガン細胞もシオシオで
手術をしてもしなくても
残りの寿命には、ほぼ関係はないらしい。

入院したせいで、時々ボケた事を言うようになったが
元気になれば以前の状態に戻る
治療を嫌がり、見舞い客に 「家に帰る」 と
ゴネまくってる
私には絶対に知らせるなと言っていた、などなど。


さて、ここで告白するが、私は両親を
“パパ” “ママ” と呼んでいる。
母の家では “おじいちゃま” とか
“おとうちゃま” と、“ちゃま” をつける風習があり
兄はまんまとこの風習にはめられ
かなり早くから “おやじ” “おふくろ” に
変更していたが
「あなたの時はお客さんが皆 『パパはどれ』
 『ママはどれ』 と聞くから
 “パパ” “ママ” になっちゃったのよ」
と、母が嘆いていた。

それがよっぽどくやしかったのか
意地になってるのかは知らんが
母は今でも、兄や私に自分の事を言う時には
「おかあちゃまはね」 と、言っている。
・・・どっちに転んでも
恥ずかしい呼称には変わりはない。

こういう場とかでは、さすがに
“かあちゃん” とか言い換えているが
人前で母を呼ぶ時は平気で 「ママ」 と呼ぶのは
恥知らずな私ならではの固有の技である。


かあちゃんの入院している病院は
大きいけど病院らしくない病院だった。
新しいせいかすんげえきれいで
どっかのオフィスビルみたいな感じ。

死に前のヤツほど
ナースステーションに近い部屋なのだが
兄に連れて行かれたのは
ナースステーション直結の部屋で
「げ、かあちゃん、相当ヤバい状態じゃねえの?」
と、ビビった。

ベッドに寝ているかあちゃんは
以前とはうってかわって、老けて小さくなっていた。
その姿を見た途端、ますます
「こりゃ明らかに死期間近じゃん」 と、感じた。

来た事を後悔しつつ、「ママー」 と、呼びかけた。
「あしゅちゃんが今持っているジュースをちょうだい」
母の第一声に私は激しく動揺した。
「え? え? 私、今ジュース持ってないけど?」

「何でもいいからちょうだい」  「え? え? え?」
こ・・・これが “ボケ” ってやつか!
かあちゃんがボケちゃったよおおおおおーーーーー!
私が衝撃を受けてるっちゅうに、兄は 
「俺は洗濯がある。 終わるまで2時間掛かるんだよ。
 おまえ売店で何か買って来い。」 と、忙しそうだ。


兄とふたりでエレベーターホールにいると
医師がが走り寄ってきた。
担当医のひとりらしい。

「お母様の事でお話したいんですが」
と、担当医が言うのに
「ちょっと洗濯が・・・」 と、焦る兄。
たかが洗濯にそこまでこだわるとは
おめえ、実は平常心じゃねえだろ?

洗濯物が気にかかってしょうがない兄を引きずって
“医師と家族が話をする専用” の部屋に行った。
ようするに、母の腎臓は機能していないので
人工透析が必要なのだが
治療を嫌がって困るという5分で済む内容を
実にまとまりなくダラダラと説明され
兄は洗濯で頭が一杯で、 「妹に言い聞かせさせます」
とか済ませようとしたので
「母はプライドが高いので
『見苦しい真似はすな』 と言えばいいと思います」
と、他人には絶対にできないであろう
役に立たない指導をしてあげた。


売店でジュースを買って戻ったら、母は眠っていた。
兄は念願の洗濯室に行っている。
しっかし、“ジュース” って
エロ用語に聞こえるよな と
不謹慎な感想を思い浮かべつつ
ベッドの横に座っていると、看護士さんが来た。

「点滴しますねーーー。
 ちょっとチクッとするけど我慢してねーーー」
だから、年寄りをガキ扱いすなっての!!
そんなだからボケるんだよ!
後ろでムカつきつつ見てたら
母が 「痛い!」 と、目を覚ました。

私の顔を見るなり言う。
「あしゅちゃん、お金はある? 欲しいものはない?」
「ママ、大丈夫?」
「また小包を送ってあげるからね」

いや、小包は心底いらんから、と言いたかったが
「ちゃんと治療に協力してね」 と言うと
「おかあちゃまは強いから大丈夫よ
 頑張って治すからね」
と、周囲の話とはまったく違う態度だ。

つまり、周囲はしきりに母の世話をするので
母は我がままに振舞ってしまう。
私だけが、母が面倒を見るべき人間なので
私に対しては、しっかりした自分を
見せているのではないか。
そう思った私は、母にやる気を出させようと
「ママ、お腹減った。 何か作って」 と、言った。

母は耳が遠くなっていたので
デカい声じゃないと聴こえない。
ナースステーション中に丸聞こえだが、しゃあない。
母は 「そこにあるものを何でも
 あなたの好きにしていいのよ」 と、答えた。


しばらくして看護士さんが来た時に、母が
「あしゅちゃん、あなたももう寝なさい」
と、わけのわからん事を言い
「あんな子だけど一番可愛い」 と、つぶやき
母は再び眠りについた。
“あんな” 子かい・・・。


次の日に叔母夫婦 (母の妹) が
福岡からお見舞いに来ると連絡があった。
この叔母夫婦に仲人を頼んで結婚したのに
離婚したもんで、しこたま怒られると思って
それ以来、逃げ隠れしていたのだ。

うげえ、会いたくねえーーーーーーー、と、思ったが
腹をくくって病院に行った。
「お久しぶりです、ご無沙汰してすみませんでした」
と、頭を下げると
「あら、来れないと思っていたわ」
と、叔母がすかさず痛恨の一撃をくりだしてきた。

「離婚したんで怒られると思って逃げ回っとりました」
と、率直に言うと
「怒らないわよ。 当人の問題でしょ」
と、ツンケンしているが
「これ、持って帰って食べなさい」
と、私にケーキをおみやげに買ってきてくれていた。

この叔母夫婦は、普段から私のことを最低の評価
(正当な評価かも?) をしてくれていて
接触するたびに説教と文句しか言わないが
とりあえず身内なので構ってくれるのだ。


その日の母はずっと眠っていて
目覚めても目が宙をさまよい
何を言っても反応してくれなかった。

兄の友人も見舞いに来て、病室は満杯になっていた。
誰も部屋にいない時に
「ママー、お腹減ったーーー。 何か作ってーーー」
と、呼びかけたら、いきなり目を見開き
息がフウフウ荒くなったので、こりゃまずい、と焦った。
あやうく私が死因になるとこだったよ・・・。

母はずっと右腕をあげ
宙をつかもうとする仕草をしていた。
その痩せこけた手を触ると、ギュッと握り返してきた。
それは私が中学生ぐらいになった時以来から
ほとんど触れた記憶のない母の手であった。

手はシワシワのビニールのような質感で
まるで毛沢東のミイラのようで
既に即身仏やってんじゃねえの?
と、不安にさせられた。

私は流産死産を繰り返した末に
年をとってやっとできた最後の子供なので
幼い頃から、母は祖母と間違えられていたのだが
今の母は、本当に老婆になってしまっていた。


手を離しても、空中で何かをつかもうとするので
もしかして死んだ父が迎えに来て
母を引っ張っているんじゃないかと
母の伸ばした手の先を 「まだ来るな」 と
しきりに払っていたら、皆が戻ってきたので
「ねえ、これもしかして危篤状態なんじゃないの?」
と、訴えた。

「だったらママは今、花畑とかにいて
 呼ばないと三途の川を渡るんじゃないの?」
皆は、またこのバカ娘は妙な事を、といった顔をして
「違うって」 と呆れていた。


帰ろうとしていたら、担当医がきて
また話があると言う。
あんた毎日家族と話かい、最近の医者は大変だのお
と思いつつ、兄と叔母夫婦とともにお話部屋に行った。

そこには担当医2人と担当看護士がいて
まず肝臓の働きの基本説明から始まった。
何で理系はこう話の組み立てがヘタなんだ。
あんたが30分掛けた話を私がひとことで解説したる。
つまりMRSA (院内感染) に
かかったってことだな?

医師の話がよくわからず、私が横から口をはさんだ。
「すみません、断言できる話じゃないとはわかってますが、あえて聞きます。
 母は高い確率で死ぬかもって事ですか?」

担当医 「今、精一杯の治療をしていますが
 その可能性はあります。」
私 「ゴールが見えないと消耗が激しいので
 ペース配分に必要なんです。
 それはどのぐらいの期間が目安になりますか?」
担当医 「今回の状態は今日明日が山場ですかね・・・」

私はこれを聞いて、ああ、母はもうダメだな、と思った。
医師としては、院内感染はヘタをすると責任問題になるし
「もうダメでしょ」 なんて
治療する立場で言えるわけがないので
こんなにあいまいにしか答えられないんだろう。

話はそれから延命治療の対応になった。
叔母夫婦は 「子供が決めなさい」 と言い
兄は 「どうする?」 と、私に聞く。

私は言った。
「延命治療というのは、本人のためじゃなく
 家族のためのものだと思っている。
 死なれる覚悟ができるまでの措置だと解釈してるから。
 私はどっちでも良いよ、お兄ちゃんが決めたら?」

結局、結論は出ず、私たちは病院を後にした。
お見舞いは夜8時までなのだが
24時間ついてていいと言われた。
もうこのことからして、母は危ないと思うのだが
皆は、長丁場になるから、とりあえず帰ろうとなった。

親戚に危篤状態だったのが、なんのかんのと
15年以上入院しているばあさんがいるので
母もダラダラ入院を繰り返して、数年生きる
と思い込んでいるのだ。

私は母は明日の夜8時ぐらいに死ぬだろうと
予想を立てていた。


翌日の朝9時前ぐらいにボーッとしてたら
兄の携帯が鳴った。
「おふくろの心臓が止まったって!」
早っっっっっ!

すぐタクシーを呼び病院に走ったが
えらく遠い病院なので着いたのは10時前だった。

タクシーの中で兄に聞いた。
「私、メソメソしてていい?」
「それはどういう意味だ? 何もしないってことか?」
「いや、普通でも私は何もしないじゃん。
 そういうことじゃなく
 ひたすら泣いてていいか?ってこと」
「好きにしていいぞ」
んじゃ、メソつくのはやーめた、と、決めた。


病室に着いたら、担当医が
母の心臓をマッサージしていた。
「心マッサージをしている間だけは
 心臓が動くのですが・・・。
 お母様はもう自力では心臓を動かせません。
 心臓を動かす機械を付けますか?」
兄が聞く。 「どうする?」

母は命を使い切った。
一生懸命生き、寿命をまっとうしたのだ。
辛いのは残される側だけだ。
私は即答した。 「もう、いいだろ?」


医師が心停止を告げ、時刻を読み上げる。 「午前9時5×分 (正確な時刻は忘れてしもうたわい) 」


    2005年 2月 24日


私はひとつだけ後悔している。
それは私の顔を見たことで
母が安心して死んだのではないかという事。

私が帰らなかったら、母は私に会うまで
頑張ったんじゃないかと・・・・・。


私が最後に聞いた母が発した言葉は
「あんな子だけど一番可愛い」


出き過ぎなセリフでびっくりだが
この言葉は死ぬまで、私の心を救い続けてくれるだろう。
私の側にいる最初から最後まで
色んなものを与え続けてくれた。

さすが私の母だな!




2016年追記
この後、母の葬儀話とか書いたんだけど
書く事で、随分気持ちの整理がついた。
ブログ作業に救われた。

そして、書きとめておいて良かった。
あの日のあの出来事を、詳細まで思いだせる。
もう私は、思い出が財産な年齢だから。

読んでくれた人、ありがとう。







閉経

かなり前に閉経したらしい。
前兆はな、いきなりパシャッと大量の出血があって
生理になった事だと思う。

私の通常の生理は、出血? って感じで
少量からスタートしてたんで
その時のように、いきなりサラサラの血が
大量に出たのは初めてで
だから記憶に残ってるんだよ。

そういう、驚きの生理がきてから
徐々に日数が短くとか、不規則になったり
出血量が減ったりして
ある日、気が付けば生理がなくなってたんだ。


閉経してからの体調は、すこぶる良い。
血行不良による様々な支障が軽減されたんだ。
頭痛、肩凝り、腰痛、神経痛等。
貧血やめまいはゼロになった。
いやっほい!

ただ、閉経すると骨祖しょう症になると聞いたので
サプリでカルシウムを摂取してる。


更年期障害はな、40代の頃はひどかった。
思いもよらない初めての不調が
体のあちこちで次々に起こって
年を取るって、こんなにつらい事か
と、落ち込んだもんだ。

めまいや吐き気、息切れ、動悸、耳鳴り、頭痛
目が光に弱くなったりとか
その他もろもろの症状で
起きてられなくて、寝込む日々も多かった。
生きる屍状態。

それがな、近所の騒音家族のせいでウツになって
精神科で安定剤を処方されたら
それらの症状がキレイサッパリなくなった!

ウツ治療で更年期も治ったんだよー。

こんな、薬いっちょでラクになれるものか
と、ものすごく驚いてる。

私が子供の頃、知り合いの人が
更年期で苦しんでる、という話で
お医者さんが、「薬ひとつで治るのに何故病院にこない」
と、不思議がってた事があったんだ。

何となく、それを覚えてたんで
わけわからん症状が出た時に
真っ先に当時の主治医に言ったんだけど
私の若々しさのせいか、「まだまだ」 と
相手にされなかったんだよー。

その主治医の元を脱出し
精神科にお世話になった途端、すべてが治ったんで
医者選び、大事だよーーー。

甲状腺機能低下症も、その精神科で発見してもらって
これまた薬いっちょで症状がなくなったし
何年もお世話になったお医者さんだったんだけど
転院して正解だった。

つらい事が治らないのなら
そのお医者さんとは合わないかも、と
疑う心も必要だと学んだよ。
今は違う内科に通ってる。


このように、更年期は薬いっちょで治るものだけど
病院に行きたくない人は
経済的に許されるなら、漢方を試すと良いと思う。

ドラッグストアで薬剤師さんに相談して
市販薬を買ってみるのも良いし
一番ダメなのは、我慢をする事だよ。

そりゃ、更年期はいつかは治るものだけど
我慢している間がつらすぎるもん。


閉経して随分経ったんで、もうそろそろ良いかと
安定剤を飲むのをやめてみたんだ。
・・・胃にきたよ・・・。

更年期障害っていつまで続くんかな
えれえ長いのお。
この長い時期をジッと我慢するなんて
そんな苦行はしたらダメだぜ。
健康な部分まで悪くなるぞ。


あ、閉経して、“女じゃなくなった” とかいう
ノスタルジーはまったくなし。
ただひたすら、生理のわずらわしさから解放されて
ヒヤッホーーー! だよ。

クヨクヨする人の場合は
単なる更年期の症状だと思う。
女じゃなかったら何だよ、って話だし。

だからそこらへんは安心して
閉経したまえ、と言いたい。


だけど閉経して一番困ってるのが
買い置きしてた生理用品の始末。
これが結構な量あるんだ。

だって生理できつい時に
物品を切らしたくないじゃん。
買い物も最小限にしたいし、で
割に何個も買っておいたんだよー。

あげる人はいないし、他に使い道ないし
尿漏れ用に取っておくべきか?
それとこれとは用途が違うのか?

まだまだ老化でわからない事は山積み。




尿漏れ下着というのもあるけど
ナプキンタイプの方が手軽だと思う。
女性には馴染み深いしな。



女性の私からは盲点。
でも、言われてみるとありそう。
一番の懸念はムレだと思うな。
もちろん通気性も考えられているんだろうな。



この前、他のシャンプーに浮気して
結局、あんだんての方が良くて、即行戻したよ。
使わないシャンプーは、風呂洗いに流用してる。
皮脂とか落とすんで、掃除に向いてるらしい。



  
愛用してるオーブリーのコンディショナーが
今、入手困難になってるんで、これを。
やっぱ相性良いのは同ブランドだよね。





私にひそむ憂うつ

2005年の記事。


私と同年代のヤツらは
最近こぞってヒドい目に遭っている。
事故に遭ったり、病気になったり。

友人のひとりが 「早く来年になってほしいよ」
と、言うので
なるほど、厄年とか仏滅とか天中殺とか
大殺界みたいなもんかあ、と、納得し
「そういや私もウツウツするしなあ。」
と、つぶやいたら
「あんたのは、お母さんが亡くなったからでしょ」
と、非難めいた言い方をされた。

えええ、そうなんか?
親の死は、「私もじきに逝くから、先に逝っといて」
みたいにしか捉えてなかったんだが
何かダメージをくらっているんか?
と、ひとしきり考えたが、よくわからん。

この無神経さがコトを大きくするんだよなあ
と、イヤな予感がしていたが
ここにきて、いよいよシャレにならん
精神状態になってきたのだった。


私は、うつ病気質である。
このうつ病気質とは簡単に言うと
生真面目で几帳面で責任感が強い性格。

誰も信じないが、まさに私そのものである!
この自己診断には陶酔しているのだが
心のどこかで、何かが違うような・・・?
と、いう気もしている。


母が存命中、親戚に話していた。
私が小学校1年生の頃に、母が学校に呼び出され
何事かと、ドキドキしながら行った時の話。

授業でビデオ鑑賞があった。
それは 「砂漠は生きている」 という
ドキュメンタリーで
別段、面白いものでもなかった。

なのに、私は、それを観て泣いたのだそうだ。
担任が母に言うに、長年このビデオを
生徒たちに観せてきたが
泣いたのはお宅のお子さんひとりだけだ、と。
この感受性をぜひ伸ばしてあげてください、と。

母 「それでそのビデオを私も観せられたのよ。」
親戚 「感動的だったの?」
母 「全然。 これのどこを観て泣くのかしら
   と、不思議だったわよ」

子供の豊かな感受性の話のはずが
すっかり笑い者にされている。
母が、「あなた、この話、覚えてる?」
と、聞いてきたが
「・・・覚えてない・・・」
と、不機嫌そうに返事をしておいた。

実は覚えているのだ。
泣いた理由は、あの広大で過酷な気候の砂漠に
生息しているサソリやらヘビやらが
大変そうで辛そうで泣けたのだ。

今思えば、そういう地に生きる生物は
そういうつくりなんだから
特別にそいつらだけが辛いわけではないし
生き物は全員、何かしら大変だろうよ。
てか、その時の私、不幸だったんか?


そう。 この例えを出したのは
私が生まれながらのアホウだという証明である。

“潜伏” を書き始めてから気付いたのだが
私はどうやらアホウらしい。
気付いた時はショックで、認めたくなかった。
学校の勉強はできた (英語以外は) のに
何で? いつの間に???
と、ジタバタしたが、学校の勉強と頭の良し悪しは
無関係という良い例だ。

はあー・・・・・、私はアホウだったか・・・・・。
これを受け入れる時の敗北感がわかるか?

と、そんな事はどうでもいい。
言いたいのは、こんな鈍感なアホウでも
うつ病になる事もあるという事実である。

高校の時に、ウツウツして
胸が苦しくなる発作みたいなのが続いたのは
パニック障害を起こしていたんではないか
と、最近になって思った。

高校が嫌いで嫌いで、息もできなくなるほどの
胸の苦しみに耐えつつ
遅刻早退サボリを繰り返しつつ
どうやらこうやら卒業したが
私、ちとバカじゃねえか?

親に 「ウツウツするんだけど、精神科に行っていい?」
と、聞いたら
「熊本はおとうちゃまの知人が多いからダメ!
 恥ずかしい事をしないで!!」
と、怒られ、その言いつけを守って
治療もせずに登校をしたが
親も、ちとバカじゃねえか?
てか、私のその根性、すごくねえ?

結局、完治するのに熊本を離れて数年を要した。
治ったのは、神頼みのお陰である。

タクシーに乗った時に、運転手さんとの世間話の最中に
「ウツウツするんですよー」 と、言ったら
「コップに水を入れて、タンスの上とかにあげて
 ご先祖様に祈るんだよ。
 ちゃんと感謝をすれば、守ってもらえるんだよ」
と、指導され、これまた
その言いつけを守って祈ったのだ。

今思えば、ヘンな宗教勧誘じゃなくて
良かったあああああああああああああ!
人はこうやって宗教やらセミナーやらにハマるんだな。
危なかったーーーーーーーーーーーーっ!!!!!

プラシーボ効果のお陰か、少しずつ症状は取れていったが
それでも発症から完治まで5~6年は掛かったぞ。
その後も、発作の記憶が恐怖として
すり込まれていてビクビクしたが
自力でパニック障害を治した女がここにいる!
ふぉっふぉっふぉ。


さて、“シャレにならん” 今の状態だが
どうも、うつ病に片足を突っ込んでいるようである。

何かのストレスが溜まってたんか
どうせ考えてもわからんので
原因は置いといて、これを
どう治療しようか、迷っている。

うつ病気質 (自己診断) だが
うつ病になりにくい脳みそなので
まだ本格的に発病はしていないが
私の中で警報が鳴っているのだ。

とりあえず、今、肝臓の治療をしているので
主治医の許可が出たら、精神科に行くとしよう。
もちろん、クリニックとかじゃなく
ハードな精神病院外来を選んで
ここで通院日記を展開するのは忘れない。


ここで、ウツウツした時のしのぎ方。
絶対に自分を可哀想だと思ってはいけない。
そのシチュエーションにドップリ浸かると
脱け出すのが大変だからだ。

そして、心の中に客観的な自分を持つ。
例えば、朝、目覚めて
「起きたって、何も良い事なんかない」 とか、思ったら
「道にヒツジが沢山いるかもよー」 と、誘導する。

あっ、こういう事、実際にあったんだぞ!
熊本にいる時に、風邪で寝込んでたんだが
寝室の窓から見える畑に、白昼堂々とスイカ泥棒が出現し
畑の主と格闘し、逃げる泥棒を軽トラで追いつつ、通報。
泥棒は隣の町で、ナス畑に突っ込んで御用となったとさ。

このニュースを夕方のローカルニュースで見て
そりゃあもう後悔したさ。
ちょっと頭を上げたら見える窓の外で
そんな大惨事があったとはーーー!

だから、世の中、いつ何時何が起こるかはわからん。
ヒツジを乗せたトラックが横転しても、不思議ではない。

ま、そんな事件はそうそう起きるはずもなく
朝起きて、いつもと変わりない風景を見ても
「平和でいいじゃん」
で、済ませとけば、万事オッケー。


「飯の準備が億劫・・・」 には
「腹減った!! さっさとせんか!」
「お風呂、面倒・・・」 には
「おめえは汚物か? チャッチャと入らんかい!」
と、自分で自分のケツを叩きまくる。

これは、やってて結構楽しい。
本当は他人にこれをやりたいがな。 クスクス

この方法は、万人にはお勧めできないが
あまり自分を甘やかすと
とことん付け上がって、手に負えなくなる事もあるので
参考程度に覚えておいてほしい。


うつ病になったヤツは
「何で自分が?」 と、まず思うが
なったもんはしょうがねえ。

というか、真面目で責任感が強いと
太鼓判を押されたようなもんだぞ。
立派なヤツ決定じゃん!!
誇りに思って、地道に治療せえ。



これは2005年の記事。
この時は結局、主治医に
「精神科に行くと本当に精神病になる」
と反対されて、主治医から睡眠導入剤を
処方してもらって、何とかしのいだ。

まあ、色んなお医者さんがいるだろうが
医者の言うセリフかな。

この主治医は後に宗教にハマって
私を勧誘してくれたが
脱会したら通いづらくなって転院した。
妙な人だったわけだな。





北海道男児置き去り事件

無事に見つかって良かった、と心から思う。
それは皆と変わらない。
置き去りは虐待にあたるとも思う。

だけど、あのお父さんの憔悴しきった様子が
気の毒でしょうがないのである。


男児がやったのは人や車に石を投げる事。
これはしたらいけない事。
子供のいたずらとしては、極悪である。
親が怒るのは当然。

多分、男児は反省しなかったんだろう。
だから置き去りという措置を取った。


この男児、置き去りにされた直後に
親の車と反対方向に走り出した、と
男児のお姉ちゃんが証言している。

これは、お仕置きをされた事に対して
男児が怒ったのではないだろうか。
どうせ戻ってくるのだから
いなくなって困らせてやろう
ぐらい考えたのかもしれない。
親をなめた行為である。

こう、うがった推測をするのには、わけがある。
男児が見つかって、父親が最初に言ったのが
「怖い想いをさせてごめんな」 だそうだ。
それに対して男児は、「うん」。

ええええええええええ
そこで、うん、って反省してねえ!

私はこのやり取りに、ものすごく違和感を覚えたのだ。
この親子、もう力関係が決まっちゃったよな。
とうちゃん、虐待とか怒られすぎて
萎縮しちゃったんだな。

男児がやったのは、本当に悪い事なのに
しつけの方法を間違ったという事で
今後、この子にまともに向きあえないかもな。


もちろん、こう言えるのはすべて
男児が無事だったからである。

でも私は思う。
無事にもほどがある、と。


私が生まれ育った村の近所に、登山で人気の山がある。
大勢の人々が山登りに来るのである。
私も小学校の遠足で登った。

そんな山だから、登山じゃなく
ハイキング気分で来る人もいる。
ところがその山、景色があまり変わらない上に
意外に標高も高く、迷いやすいのだ。

年に何回かは遭難者が出て、救助隊が出動する。
地元の人の、良いこずかい稼ぎらしい。
うちの兄は遭難しかけ、とうちゃんは実際に遭難した。

そこで、家族で山登りに来て
小学生の子供ふたりがはぐれてしまった。
確か、お姉ちゃんと弟だったと思う。

ふたりは捜索隊によって、翌日発見されたけど
胃に穴が開いていたそうな。
たった一晩で!


私は、この話と比べてしまうのだ。
姉弟ふたりでいて、胃に穴が開くほどのストレスなのに
今回の男児は建物内とは言え
一週間もひとりで過ごして、ピンピンしている。

それとも、これからトラウマとか出てくるのだろうか。
あまりのたくましさに、空恐ろしいものを感じる。


人や車に石を投げる
走り去る車と反対方向に向かう
建物が見つかるまで歩き続ける
そこで一週間、サバイバルする
ようやく助かっても、泣きもせず
父親の謝罪に上から目腺。

私には、この子が恐ろしい・・・。

これは私が無知なだけで
子供というのは、こういうものなんか?








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