天使か悪魔か

リアルババアあしゅのいらん事言いブログです。 昔の記事は http://maho.lomo.jp/nashural/ に。

高校受験

2002年の記事。


私の高校は私立のミッション系のお嬢様学校だった。
叔母の通った学校らしい。
母親がないものねだりをして
「女の子らしくなって欲しい」
という、強い希望を抱いたからである。

私自身には自我も何の展望も意見もなかったので
母の言うがまま、その高校の
推薦試験を受ける事になった。
その時は、そこがどこにあって
どういう学校かも知らなかった。


受験前日にその高校がある県へ行く予定だったが
何の嫌がらせか、数年ぶりの大雪に見舞われた。
交通機関もすべてマヒして
母と私はとりあえずタクシーで
南の方の駅に向かう事になった。

「うわあ、地面が凍ってるねえ」
と、私がタクシーに向かいながら言うと
母が 「受験生なんだから “すべる” は禁句よー。
 きゃああああああああ!!!」 と、滑って転んだ。
まったく、お約束な言動を・・・。

その一件で母はすっかり我を見失い
「どうしましょう、あしゅちゃんが落ちたら
 私のせいだわ」 と、
その言葉の方が縁起が悪いわ! というつぶやきを
タクシーの中で延々と繰り返していた。


南の方の駅に着き、切符を買い、列車に乗った。
途中、乗り換えで時間が空くので
何か食べようと駅の外に出た。
再びホームに入ろうとした時
母が切符がないと騒ぎ始めた。
発車の時間がせまっている。

母は普段、争い事を避けるタイプなのだが
もうすっかり混乱状態に陥ってるのか
改札で駅員とケンカを始めた。
どう聞いても、駅員の方が明らかに正しいのだが
パニックを起こしてる女性に勝てるやつはいない。

私が、「乗り遅れたら受験に間に合わないよ?」 と
母を説得したら、「ああ、そうだったわ!」 と、気付き
切符を買いなおし、やっと列車に乗る事が出来た。

母は列車の中で
(無くなったままの方が幸せだと思うのだが)
しつこく無くした切符を探し続け、ようやく見つけ
「切符が出てきたわ!
 やっぱり私の言う事が正しかったのよ」
と、再び怒り始めたが
それでもなおかつ駅員の方が正しいと思うぞ?


通常だと2時間の道のりを6時間かけて
私たちは親戚の家にたどり着いた。
親戚も皆、異常にピリピリしている。
私は当時から何も考えてないドあほうだったので
ひとり、のほほんとしていた。

母が試験当日の朝、目覚めて昨日から
何度目かの大混乱を起こした。 
何とそこでも大雪が降ったのである。

慌ててタクシーで行ったが、道路は大渋滞を起こし
母は見るも憐れに取り乱し、うっとうしい事この上ない。
結局、遅刻をして行ったが、初めて見るその学校は
明治時代に建てられた由緒ある建物とかで
その重々しい雰囲気が私の気分を滅入らせた。 
隣で母が 「急いで」 と叫んでいる。


試験も終わり近くに会場に
ひとりノコノコ遅れて入った私は
問題を見て 「うっっっ!」 と驚いた。
すんげえ簡単なのである。 
「何だ? ここはバカ学校なのか?」
と、不安になった。

後で知った事だが、その学校では推薦というのは
県外から生徒を集めるので
推薦時点で学力は最初からクリアされていて
問題は面接での素行重視らしいのだ。
だったら最初から学力試験は
いらないような気がするのだが。


5教科が終わり、面接まで昼食の時間である。
母は父兄待合室という所でそわそわ待っていた。 
そんな過保護はうちだけかと思っていたら
そういう親御さんたちがウジャウジャいて
親ってのも大変だなあ、としみじみ感じた。

「どうだった? どうだった?」
と母が私を見るなり叫んだ。
「簡単だった」 と答えると
周囲の親が一斉にこっちを睨んだ。
「だめでしょ? 無神経な事を言っちゃ!」
母が小声で怒る。
だったら最初から聞くな。
まったく、この母と長時間一緒にいると物凄く疲れる。


さて、面接である。
並んで待つ子たちの緊張が伝わってきて
こっちまで落ち着かない気分になる。
と、言うか、普通こういう時には緊張して当然なのだが
当時の私がどこまでアホだったかという事の証だ。

部屋に入ると、試験官が二人座っていた。
そのうちのひとりが見事なてっぺんハゲで
それトンスラ? なのである。
(注: トンスラとは中世のカトリックの修道士が
 頭のてっぺんを丸く剃っていたスタイル)

何せ、箸が転がっても笑う年頃である。
いけないと思えば思うほど、笑いがこみ上げてくる。
我慢も無理っぽいので、すべてを捨てて私は爆笑した。

試験官が 「何が可笑しいのですか?」 とたずねたので
「あまりの緊張で笑いたくなってしまったんですー。」
と答えた。
まさか 「そのハゲがツボだった」 とは
さすがの私にも言っちゃいけない事ぐらいはわかる。

すると、何をつられてか
試験官ふたりも一緒になって爆笑し始めた。
廊下で待ってる人たちは何事かと思っただろう。
3人でしこたま笑うと
ようやく落ち着いて面接開始である。


試験前にさせられた面接の練習では
確か 「控えめに落ち着いて礼儀正しく」 と
散々注意されたような気がするが
大爆笑ですっかり、そういう注意は
どこかにスコーンと飛んで行ってしまって
私は “いつもの私” で
「やかましく傍若無人でなあなあ」 に受け答えをした。
良く言えば、大らかで素直?ってなモンである。

能ある鷹は爪を隠すが、私は鷹じゃないんで
そういう謙虚さはちょっと置いといて
私は中学テニスで郡では有名だったのだ。 
もちろん、人間性がじゃなくて
(↑言ってて自分でムカつく) 強いという事でだ。

「うちのテニス部は弱小ですが、入部してくれますか?」
と、聞かれ、「私に任せといてください」
と、おおいばりで答えといた。


その後この面接内容の報告をしたら
母も中学の教師も頭を抱えて
無言で、近所の公立高校への願書の制作を始めていた。

ところが、合格通知が来たのである。 
失礼にも皆 「あれで何故・・・」 と驚いた。

しかし、私はその高校の雰囲気が嫌だった。
私には合わないと感じたのだ。
(どういう所が “合う” のかは置いといて)
「行きたくない。 公立でいいじゃん。
 何でわざわざあんなバカ (←言いがかり) 学校に
 行かなきゃいけないの?」

私がダダをこねると、母は狼狽した。
「そうねえ、娘を高校からよそへやるのもねえ・・・」 大した信念のなさである・・・。
そういう話し合いは受験前に済ませるべき事だと
大人になった今となっては思うのだが。

慌てたのは中学側で、うちに校長までやってきて
「合格したのに入学しないとなると
 今後の推薦枠がなくなる」 と、頭を下げたのである。
それは至極当然の話だ。
何から何までうちが悪い。

父はそれまで母にまかせっきりだったのだが
「責任を持って通え」 と、おいしいトコ取りの
真っ当な決めゼリフで父親の威厳を見せ
母は 「受かっちゃったから、しょうがないわねえ。
 行きなさい。」 とまた意見を変えてくれた。


こうして、私は嫌々その学校に入学することになった。
得てして悪い予感というのは当たるもんで
それから3年間、辛い日々が続く事になる。
手始めに入った寮で早速、騒ぎが巻き起こるのだが
それは次の機会に・・・・・。







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