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天使か悪魔か

リアルババアあしゅのいらん事言いブログです。 昔の記事は http://maho.lomo.jp/nashural/ に。

仰げば尊し

2004年の記事。


私には恩師と呼べる人がひとりだけいる。
それは中学の3年間、お世話になったA先生だ。


私は小学校中学年まで、夜の8時就寝だった。
小学校高学年時代は、夕食が済むと
すぐ自分の部屋に追い払われていた。
それから10時まで勉強しなさいと言うことだ。

これがA先生が来てからは
12時まで部屋に軟禁になった。
家族団らんなど、あったもんじゃない。
TVもほとんど観れない。

部屋では、もちろん勉強などするわけがない。
私のひとり上手は、この時につちかわれたようなもんだ。


中学入学を控えた春休み、家にお客がふたり訪ねてきた。
私は自分の部屋で勉強をするふりをしつつ
遊んでいたのだが、珍しいことに私を呼ぶ。
そのお客というのは、私が入学する中学の校長先生と
新しく赴任してくる先生であった。

私は礼儀正しく挨拶をした。
父が言う。
「じゃあ、A先生にうちの娘の勉強をみてもらおう」
私はわけもわからず、大人しく話を聞いていた。

:ここでお気づきの方もいらっしゃると思います。
:そう、これは公務員法 (教育員法だっけ?) に
  抵触しますね。
:自分の勤務する学校の生徒の家庭教師というのは
  確実に本業に支障が出ますね。
:しかも校長公認で・・・。
  田舎というのは、そのへん実にアバウトですねえ。

翌日、A先生がさっそくやって来た。
私の学力をテストしようというのだ。
テストが終わり、A先生は父に言った。
「お嬢さんは天才ですよ!」


さて、このA先生、当時は20代後半だった。
やり手の若手教員ということで
将来を嘱望されていたのだが
妻子がありながら、自分の教え子に手を出してしまった。

その教え子というのが、悪いことに
県の教育委員会のお偉いさんの娘で
おかげでA先生は、こんな僻地に
飛ばされる事になってしまったのだ。

能力もあるので惜しいということで
父の知人から、父によろしく頼むと連絡が入り
そのために挨拶に来たらしい。

私はこのA先生の背景は、当時は何も知らなかった。
これから起こる一連の出来事も
当時の私に意味はわからなかった。
というか、何の疑問も持たずに
起きたことをただ見ていただけである。

まったく今思うと、とんでもない教師である。
当時も別の意味で、とんでもない教師だと思っていた。
教育の名の元に、マックスパワーで殴る蹴る。
親の前でも堂々と殴る蹴る。

家庭教師は週2回だったが
A先生は最初は単身赴任だったので
毎晩うちに来て飯を食っていた。

それどころか、泊まりまくる。
うちから毎朝ご出勤である。
「おまえは歩きでな」 と、行き先は同じなのに
自分ひとり車で出る。
今更どう取り繕ってもムダだから
乗せて行けと言いたかったわ。


上の 「お嬢さんは天才ですよ!」 には
後日談がある。

A先生が、私と初めて会った時の印象を語ってくれた。
「おまえのニヘラーと笑った顔を見て
 俺は一瞬、頭の足りないガキかと思ったぞ」

私は、礼儀正しく挨拶をして
おとなしく座っていたと書いたよな。
それを 「ボーッと座っていたおまえを見て
 指導ができるのか不安だった」 とまで言うのだ。

A先生には、私が知能的に問題のある子供に
見えたらしいのだ。
それがテストをしてみると
ちゃんと正しく答えているので、驚いたのだそうだ。

・・・・・別にいいけどね・・・・・。
ってか、一切コメントしたくないわ。


しばらくして、両親とA先生に奥さんを紹介される。
B子先生という若い女性である。

何故、B子 “先生” かというと、私は中学に入り
やめていたピアノを、この人が教えるというせいで
再び習うハメになったからである。

「ひとり増えると、私の習い事がひとつ増えるんかい」
と、思った記憶がある。


この女性は、例の教え子であった。
A先生を追って、ここまで来たのだ。

この女性の教育委員会のお偉いさんの父親は
A先生のことを嫌っていた。
娘の交際を阻止するために
A先生を僻地に飛ばしたほどなので
当然、大反対である。

なのに、うちの親が間に入ってどうのこうのしたせいで
この女性の親にまで
「娘をよろしくお願いします」 になってしまった。
うちの親も、ほんとバカをみてるよなあ。


B子先生は、私を可愛がってくれた。
でも、今になってよく考えると、A先生の教え子である。
A先生は中学教師。
・・・・・・・・・・・・・ロリ?

うちには飯を食いにくるヤツがふたりに増えた。
中学の音楽の教師が産休をとり
代わりの教師がいないということになり
何とこのB子先生が臨時の音楽教師になった。

教員免許を持っているんかと、突っ込みたかったが
見て見ぬフリで済ませた。


そして、しばらくすると
A先生とB子先生とうちの親に、子供を2人紹介される。

すんげえ後になって知ったのだが、この時にA先生は
離婚成立し、B子先生とマッハで再婚して
自分の不貞のせいで離婚したくせに
子供ふたりを無理やり引き取ったのだ。

私はB子先生に 「子供たちに 『お母さん』 と
呼んでくれるように頼んで」 と、言われ
「お母さんと呼べないの?」 と、子供たちに聞いたら 「うん」 と、即答され 「ふーん」 で終わらせた。

このへんのグチャグチャした事情は
まったくわからなく、ひとりでのほほんとしていたのだ。


またまたしばらくして、A先生はB子先生と離婚し
この時も、うちの親はゴタゴタしたらしいが
次にもっとゴタゴタして、A先生は前妻と再婚し
奥さんが村にやってきた。

うちの親ったら、わずかな期間に
何度もてんやわんやである。
小さな村なので、何かある度にコソコソと噂の的になり
大騒ぎだったであろう。


A先生の教師の所業とは思えん私生活の乱れは
これで一応は、一件落着をした。

うちの親は、その後、B子先生が
どこぞの人と再婚する際の結婚式に呼ばれ
「どこから来たのか他の人に聞かれたら
 何て答えればいいのか」 と、断ったのだが
B子先生の両親にぜひにと強く望まれ
困りながらも、出席していた。

私も、B子先生に 「遊びに来て」 と、言われ
5時間もかけて遊びに行ったあげくに
A先生に 「おまえ、行ったろ?」 と
チクチク罵られて、踏んだり蹴ったりだった。

いや、あんたらの事情、子供の私には難しすぎて
理解できなかったってば。


A先生は赴任早々、3年の担任になった。
私は1年生で、学校ではまるで関わりがなく
ホッとしていた。

A先生は、ハードな暴力教師だったが
熱い教育心で、生徒や親たちの信頼を得ていた。
・・・・・私生活がアレなのに・・・・・。

私がひとり下校中に
後ろから来た数人の3年生男子に呼び止められた。
「おい、おまえ
 A先生が家庭教師をしてるって本当か?」
私は何の考えもないボケガキだったので
「うん」 と、素直に答えた。

3年生男子は、私を睨んで歩き去った。
これ以来、私は3年に嫌われていたらしい。


2年になり、A先生は2年の担任になったが、私のクラスじゃなく、ラッキーと喜んだ。
A先生のクラスは、毎日10ページの宿題を出され
ヒイヒイ言っていた。
私なんか1年からそうだったよ
と、仲間ができて嬉しかったのは黙っていた。

A先生の本業は数学なのに
何故か理科を教えていたので
その時間だけ私もA先生に習う。
田舎の学校って、ほんといい加減。


A先生は、授業参観の時に
生徒を呼ぶのに、父親の名前を呼ぶのだ。
一瞬、来ている母親も生徒も
「は?」 という顔をした。

「○○! おまえ自分の父親の名前も忘れたか!」
と、言われ、該当する生徒は慌てて立ち
母親たちは失笑する。
こういうパフォーマンスが得意な先生であった。

授業は激しくスパルタで、授業の最後に必ずテストをし
その成績順に座らされるのだ。
テストの間中、自分は後の方で
タップダンスを踊っている。

他の生徒が 「うるさいんで、あれをやめてくれるよう
 言ってくれ、頼む!」 と、私に言うので
仕方なく 「先生、静かにしてください」
と、言ったら、ツカツカツカ、と、歩み寄り
「ああーん? おまえはこれぐらいで支障が出るほど
 集中力がないのかあー?」 と
あんたはどこのチンピラですかい
というようなインネンをつけてきて
思いっきり殴られた。

「他に文句があるヤツはいないかあ?」 
シーーーーーーン・・・・・。
わざわざ 「私も殴ってください」 なんていうヤツ
いるわけないだろ・・・。

言っとくが、あんた、家庭教師の時にも
隣で大騒ぎしてるから、私は慣れてるんだよ。
皆が懇願するから代弁しただけであって
まったく殴られ損だぜ。


そうなのだ。 家庭教師の時も、A先生は激しい。
よく一日中、こんだけテンションを
高めていられるもんだと思う。
怒鳴る、投げる、殴る、蹴る、暴れる
まるで猛獣相手の根性試しの気分だ。

問題を出され、えーと、と考えようとすると
「このぐらい即答しろ!」 と、怒鳴り
横で 「5-!、4-!、3-!、2-!」
と、カウントダウンが始まる。

答えられなかったり、間違ったりすると
いきなり鬼の形相で
シャレにならんぐらいの痛さで殴られるので
焦りに焦って、わかる答もわからなくなる。


私は、この暴力教師の指導のせいで
いつもアザだらけだった。

親は娘が傷だらけになってるのに
何も思わんのかと問い詰めたいが
何故か 「この子には厳しくしないと」 という
意見の一致で、周囲は団結していたのだ。

この暴行教育がタメになったかと言うと
女の子なのに、妙に打たれ強くなったのと
ちょっとした事ですぐパニくり
脳内が真っ白になる困った習性が育まれただけであった。
やっぱり子供は褒めて育てんと、大失敗こくよなあ。


テニス部の他校との練習試合の時に
先生数人の車に分乗してもらう事があった。
私を含め、部の全員が、A先生の車を嫌がった。
授業では信頼してるが、時間外には関わりたくない
という、それよくわかるよ、という気持ちである。

「ひとりも乗らないとまずいから
 あんたY先生の車に乗ってね」 という命令で
私ひとりがA先生とドライブをするハメになる。

A先生はスプリンターの2ドアに乗っていた。
家族で遊びに行く時には、控えめな運転をしていたのだが
私は知っていた。
A先生はスピード狂なのを。

「ああー? 何でおまえひとりだ?」
A先生が車の前にひとりたたずむ私を見て叫ぶ。
「・・・先生、敬遠されてんだよ・・・」 
「ちっ、骨のあるヤツはいないな」
あんた相手に骨太なとこを見せても
ロクなことにならんだろ。

「今日は新記録を目指すぞー!」 と、叫びつつ
中央線もない狭いクネクネの山道をガンガン飛ばし
予定以上に早く到着し
「じゃ、俺は今から市内の実家まで帰るから」
と、放り出され、私は他の皆がくるまで
1時間近く他校の門前でポツンと待たされた。
他校の生徒が、違う制服の私をジロジロ見るので
とても恥ずかしかった。

A先生は後日 「車だったら6時間掛かるのに
 この前は3時間で帰ったぞ」
と、くだらん自慢をした。
「おかげで私は皆が来るまで、一時間近く待たされたよ」
と、文句を言うと
「はあ? 運転もロクすっぽできんのか、あいつら」
と、同僚の教師をクソミソにけなしていた。

中学の3年間、この調子で
こいつに関する都合の悪い事は
全部私に回ってきていた。


3年になり、A先生も3年の担任になったが
またしても私の受け持ちにはならずに済んだ。
理科の授業だけはA先生だったが
それ以外は、学校での接触はなかった。

私は真面目で素直だったので
A先生に言われたことはきちんとこなしていた。
逆に言えば、言われたことしかやらなかった。


受験も何故か受かり、A先生も校長の尽力で
栄転が決まって、別れが近づいたある日
いつもの事だといえば、いつもの事だが
A先生が私に説教をし始めた。

「おまえは一度も、自主的に
 勉強をしたことがないだろう?」
「ちゃんとやってたよー?」
「俺に言われたことだけしかしてないだろう!」
親ですら気付かなかったのに、何故わかるんだ?
と、驚いた。

「おまえは怒っても怒っても堪えない。
 のれんに腕押しとは、まさにこのことだ」
「私、ちゃんと聞いていたけど・・・」
「うん。 おまえはちゃんと聞いているし
 素直なのはわかるが、反応が普通と違うんだ。
 それに、おまえは勉強をパズルか何かだと
 勘違いしているだろう?」

「俺はおまえが心配だ・・・。
 できるなら、手元に置いて面倒をみたかったが
 ご両親とも相談して、ひとりでやらせようと
 決まったんだ。
 だから受験前だが、2学期からは
 高校の数学をやらせていたんだぞ」
「へ? そうなの?」
「・・・・・・・・ああーーーーー?」

感想をすぐ口にする性格が災いして
踏まなくていい地雷を踏んだようで、ここから
「おまえは学校で習っている内容と、習ってない内容の
 区別も付かないのか」 と、延々説教が続く。
マジで気付かなかったので
何の反論のしようもなかった。


散々文句をたれてくれた後に、A先生は私に謝った。
「俺のせいで、おまえも他の教師にいじめられて
 苦労かけたな、すまなかった」
「え? 私、先生たちにいじめられてたの?」
「・・・・・・・・・・・・」

A先生は赴任して早々に 「日○組なんかに入るか!」 と、タンカを切ったそうだ。
「徒党を組まんと何もできんヤツらと馴れ合わんでも
 俺はやっていける。
 能無しは能無し同士、チンタラやっとれ!」
とまで、職員室で怒鳴ったそうな。

これを私に言う時のA先生は
勝ち誇ったように自慢げに喋りまくった。
そりゃあんた、見事なまでに同僚に嫌われるって・・・。
そういや、あんた、同僚の悪口を
一生徒の私に惜しげもなく披露してたよな。


そこで思い返してみると、確かに私は他の先生たちに
事あるごとに集中的に怒られていた。
他の子と同じ事をしてても
いつも私だけが矢面に立っていて
それは自分が運が悪いせいだと思っていたが
私の運じゃなく、あんた自身が悪かったんかい!

「おまえなあ、普通は気づくぞ?
 逆ひいきされてるな、ぐらい感じんのか。
 こいつは俺に文句も言わず我慢しててくれるんだな
 と感心していたが、その評価取り消し!」
「はあー? 自分が迷惑かけたのも取り消しー?
 私、よく思い返せば3年間、結構な目に遭ったぞ」
「その場で気付かないんなら
 迷惑かけてることにならん!
 おまえな、鈍いヤツは癇に障るから、益々やられるぞ。
 そういうとこを気をつけろ」


最後の最後まで、結局怒られっぱなしだった。
だが、今になって思えば
A先生の言ったことは、全部当たっている。
あの時に理解していれば、私ももうちょっと
静かな人生を送れたはずなんだが
何せアホウなガキだったので・・・。

A先生は、私の勉学の素質を高く評価していた
と言いたいらしかったが
「やればできる」 という言葉は
できないヤツに言う励ましなのは、私にだってわかる。
最後の言葉というのは普通、嘘でも褒めるのに
私の場合は最上級に悲惨だったのが、いい証拠。

「おまえは知能的には問題ないはずだが
 何故か、ケタはずれにバカだ」

・・・・・・・・・・・・・・・・


A先生は、日○組を否定しまくっていたというのに
その後、力押しが成功して異例の出世をし
最年少の校長になったそうな。
あの暑苦しいパワーで、栄光の階段を昇り続けている。


数年前、実家が熊本に新築をした後に
奥さんと息子夫婦とで遊びにきた。
私を見るなりの第一声が
「おまえ、中学の時のままじゃないか!!
 成長しとらんのか・・・」 だ。

ムカついた私は、A先生の息子の嫁さんに
「A先生みたいな親がいる家に、よく嫁に来たねえ」
と、悪口を散々吹き込んであげた。
嫁さんは 「A先生の前で、ここまで言う人
 初めてです」 と、ビビっていた。
相変わらず、周囲には強面で通しているらしい。

「こいつだけが、俺を怖がらなかった生徒なんだ。
 何しろ、あまりにもバカでなあ」 と
こっちに攻撃が回って、私が負けたのは言うまでもないが
一番の被害者は、A先生と私の間で怯えていた
嫁さんだっただろう。
A先生はおとなげなく、すぐムキになるし
私もすぐ我を忘れるしで、可哀想なことをしてしまった。


A先生は帰り際に私にしみじみと告げた。
「おまえは、俺の教え子たちの中で
 あらゆる面で一番だったぞ」
へえ、こいつも年を取って、しおらしくなったな
と気を良くしたら、案の定、続きがあった。

「いいか、あらゆる面と言うのは、バカなところも
 ヘンなところも、期待外れなとこもだぞ!」

車の窓から顔を出し
叫びながら帰って行くA先生を見送りつつ
母親などは、我が娘がご近所丸聞こえで
罵倒されているのに、のんきに言う。
「あしゅちゃん、良かったわねえ
 A先生にいつまでも可愛がってもらって。 ほほほ」

“期待外れ” まで言われて、何でそういう
めでたい判断になる?
あんたらがそんな具合だから
A先生も調子ブッこいて、必要以上に遠慮なしなんだよ!


今後の私の人生も、バカ呼ばわりオンリーで
終えるような気がしてならない。

しかし、そんなに稀に見る超人的な世紀の大天才
(とは誰も言ってないかもしれない) だったのなら
あの時に、もちっと真っ当な目的意識を持って
勉学に励んでいれば
今頃、世界は私の天下だったのに、と、悔やまれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・やはり恩師の言ったことは
すべて正しいようである。






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